大学在学中からラリーを始め、
1967年 ラリーデビュー
1971年 三菱自動車工業入社後は、宣伝、営業、商品企画、海外関係の業務を行いながらファクトリードライバーとして参戦し、
全日本ラリー選手権 シリーズチャンピョン獲得。
1972年 全日本ラリー選手権で2年連続シリーズチャンピオンを獲得。
1975年 サザンクロスラリー 海外ラリーデビュー
1976年 サファリラリーでは日本人初の6位となる。
1986年 俳優の夏木陽介と共にパリ・ダカール・ラリーに初参戦 総合46位
1987年 パリダカールラリー 総合3位 ヒマラヤンラリー総合優勝
1988年 パリダカールラリー 総合2位 ヒマラヤンラリー総合優勝
アジアパシフィックラリー選手権(APRC)の初代チャンピオンとなる。
1989年 パリダカールラリー総合6位、インドネシアラリー総合2位、マレーシアラリー総合3位
1990年 パリダカールラリー総合5位、アトラスラリー総合3位、インドネシアラリー総合優勝、オーストラリアンサファリ総合優勝、タイラリー総合優勝
1991年 パリダカールラリー リタイア、インドネシアラリー総合2位、アイボリーコーストラリー(WRC)総合優勝
1992年 パリケープタウン(パリダカ)総合3位、アイボリーコーストラリー(WRC)総合優勝、パリ北京ラリー総合4位
1993年 パリダカールラリー総合5位、インドネシアラリー総合2位
1994年 パリダカールラリーチーム抗議撤退、サファリラリー(WRC) 総合2位、インドネシアラリー総合3位。
香港~北京総合4位、スペイン・バハ総合5位
1995年 グラナダ~ダカールラリー総合3位、サファリーラリー総合2位、インドネシアラリー総合5位、香港~北京総合6位
1996年 パリダカールラリー総合17位、マレーシアラリー総合3位、香港~北京総合3位
1997年 参戦12年目のパリダカで日本人初の総合優勝。
1998年 パリダカールラリー総合2位、イタリアン・バハ総合2位、チェニジアラリー総合2位、アトラスラリー総合2位、ポルトガル・バハ総合11位
1999年 グラナダ~ダカールラリー総合4位、イタリアン・バハ総合優勝、チェニジュアラリー総合2位
2000年 パリ~カイロラリー リタイア、ポーラスパンパスラリー総合優勝
2001年 パリ~ダカールラリー総合33位
2002年 アラス~ダカールラリー総合3位、イタリアン・バハ総合3位
2003年 2005年まで日産チームからダカール・ラリーに参戦したが、途中リタイヤとなる。特に2005年は万全の態勢を整えて、完走を目指すも転倒、リタイヤを余儀なくされた。
2006年 ダカール・ラリーを最後に引退することを発表、参戦したが、第10ステージで車両故障が発生しリタイヤ。
2007年 ダカール・ラリー(正式名称:ユーロミショーレ・ダカール2007)イタリアのチームから日産・パスファインダーで出場総合59位、イタリアン・バハ総合7位
2008年 母校の東海大学チャレンジセンターのソーラーカーチームの学生が、同年9月28日~10月8日にかけて、南アフリカ共和国で開催される国際自動車連盟公認のソーラーカーラリー「サウス・アフリカン・ソーラー・チャレンジ2008 (SASC 2008)」へ出場。全長4,000km超えの世界最長のソーラーカーレースの特別アドバイザーに就任し、ソーラーカーのドライバーも務め、総合優勝の達成に大きく貢献。

SASCを走行する東海大学のソーラーカー「Tokai Falcon」
2009年 モンゴル国内で開催されるラリーレイドであるラリー・モンゴリアにも主催者側スタッフとして参加し、リタイアしたドライバー・ナビゲーター等を収容する「カミオンバレー」の運転を担当した。トラックを運転した経験はなく、免許もないということで大型免許を取得するところからスタートし、開催期間中はほとんど不眠不休でリタイア者の収容作業にあたる。
  オーストラリア大陸のダーウィン (ノーザンテリトリー)~アデレード間の3,000kmを走破する、グローバル・グリーン・チャレンジ(ワールド・ソーラー・チャレンジから発展)に、東海大学が製作した新型ソーラーカー「Tokai Challenger」で出場、2位以下に2時間以上の大差を付けて優勝を飾った。このソーラーカーには、シャープが提供する変換効率30%、出力1.8kWの高性能な太陽電池などが搭載されていた。6m2以下という太陽電池面積の新レギュレーション下で、世界最速となる100.54km/hの平均速度記録を樹立した。レース中の最高速度は、チーム計測値で123km/hを記録した。

東海大学ソーラーカー「Tokai Challenger」
2010年 5月23日、高橋尚子がフロントランナーを務める「スマイル・アフリカ・プロジェクト」の「第2回ソトコト・サファリ・マラソン」において、先導車として用意されたソーラーカー「ELA」をドライブ。
7月9~11日にかけて群馬県の伊香保温泉で開催されたクラシックカーラリー「スプレンドーレ伊香保」にアルファロメオ・2600スパイダーで出場、40位で完走した。このラリーでは息子の建太がコ・ドライバーを務め、初の親子参戦が実現している。
2011年 オーストラリアで開催されたワールド・ソーラー・チャレンジに、東海大学チームのドライバーとして参戦し、2009年に続き大会二連覇、南アフリカ大会と合わせた国際ソーラーカーレースで4連覇を達成した。

World Solar Challengeで優勝した"Tokai Challenger", 東海大学ソーラーカーチーム
2012年  4年間ドライバーを務めた東海大学チームを離れ、本人が代表を務める「ソーラーカーチーム篠塚」を結成。東芝、鈴与などがスポンサーとなった。FIA公認のソーラーカーレース鈴鹿ではオリンピアクラス3位、サソール・ソーラー・チャレンジ・サウスアフリカではアドベンチャークラス優勝となった。この南アフリカ大会の模様は、2012年10月27日にBS-TBSで放送され、実子の絲木建太がナレーションを務めた。
2013年 秋田県大潟村での一充電最長距離ギネス記録達成
2014年 沖縄県宮古島市の下地島空港の滑走路にてソーラーカー世界最高速記録を更新。滑走路往復500m走行を光電管で計測し、8月22日にはギネス公式認定員立会いの下、それまでの世界最高速記録だった88.738km/hを破る88.891km/hを記録し、即日認定された。8月20日にも91.332km/hを出して世界最高速記録を更新していたが、当日は認定員不在だったために後日証拠とともに申請し、その記録も認められたため、最終的な認定記録は91.332km/hとなった。
2015年 2015年3月伝統のヒストリックラリー選手権『コスタブラバ』に東京大学工学部の学生たちで編成する「Team剛」のドライバーとして挑戦。
  8月タイで行われた『アジアクロスカントリーラリー』に参戦し、 総合2位・改造車ガソリンクラス優勝という成績でゴール。
  8月鈴鹿サーキットにて『鈴鹿ソーラーカーレース』に立命館大学とコラボ、“ with SHINOZUKA”チームが、4時間耐久レースで総合4位、社会人クラスは2位